今日は新月、大安。昨日、養命酒を移し替え、大安味噌を初めて開いた。養命酒は待たせすぎたかもしれない。けれど、返ってきたものは傷みではなく、時間の深みだった。渋苦さの奥に丸さがあり、少量を白湯で割るくらいがちょうどいい。味噌もまた、冬から春、そして初夏へと、目に見えない時間を通っていた。天地返しはせず、未開封のまま。蓋を開けると、香りは想像より芳醇で、まだ若いのに、もう十分おいしかった。重しの水袋は外した。押さえる時間は終わり、ここからは見守る時間になる。調和とは、育っていくのをただ信じることなのかもしれない。おやつに、ミニたいやきと野草茶。そして、味噌で食べるキャベツ。おいしくて、思わずにやけてしまう。焼きおにぎりにもあいそう。冬に預けたものは、案外こういう何でもない時間に、静かに返ってくる。冬に預けたものは、ちゃんと返ってきた。そしてきっと、返ってきたのは味だけではなく、待つ感覚や、信じる時間そのものなのだと思う。