雨が降り続く。地面が水分を含んで、柔らかくなる。庭に落ちる雨。屋根に当たる雨。窓の向こうから、絶え間なく聞こえてくる。その音を聞いていて、ふと気づいた。この雨の音というのは、アイドリングのノイズさえも抱ける音なのだ。一昨日だったか。夜、気になって仕方がない音をなんとか和らげたくて、いろんなBGMを試していた。そんな中で見つけたのが、「ブラウンノイズ睡眠」という言葉。ホワイトノイズは、広い周波数にわたって均一に音が含まれるノイズ。それに対してブラウンノイズは、低い周波数が強く、ザーッという雨音や遠くの雷のような、少し深く落ち着いた音に近い。雨の環境音を流してみたら、不思議と眠れた。音が消えたわけではない。むしろ、別の音が増えている。それなのに、気になっていた音が気にならなくなった。そして今日、本物の雨を聞きながら、そのことを思い出した。雨の音の中に、アイドリングの音がすっと溶けている。消すのではなく、抱いている。ノイズをなくそうとするのではなく、もっと大きな音の中に包み込んでしまう。そんなことが、暮らしの中にもあるのかもしれない。嫌なものを取り除く。気になるものを消す。そうやって、ひとつずつ整えていくこともできる。けれど、すべてをなくさなくてもいい。自分の内側が整ってくると、外にあるものとの関わり方も変わってくる。同じ音を聞いても、同じ出来事に出会っても、受け止め方が変わる。整えるというのは、何もない状態にすることではなく、いろんなものがありながら、その中で調和していること。雨は、降り続けながらいろんな音を抱いている。その音を聞いていると、「整える」ということの意味も少し違って見えてくる。内側を整える。調和する。それは、何かを排除して静かにすることではなく、いろんなものを受け止められる自分でいることなのかもしれない。雨は今日も降っている。庭も、土も、木々も、その雨を静かに受けている。