テラスの軒下で揺れている干し柿が、そろそろ食べ頃をむかえた。今月のはじめにひとつ齧(かじ)ってみたときは、まだ舌に残る渋みがあったけれど。ここ数日の本格的な冷え込みが、魔法をかけてくれたようだ。ぎゅっと縮んだ飴色の肌。口に含むと、しっとり濃厚な甘みが広がる。この甘さを教えてくれたのは、厳しい寒さと、ただ待つという時間だ。ふと、昔の光景を思い出す。2018年の秋。まだ小さかった息子が、稲をハザにかける作業をしていた背中。雨が降る中、借りたカッパを着て、泥に足を取られながらも、懸命に手を動かしたあの日。刈り取ったばかりの稲穂はずっしりと重く、水を含んだ土の匂いが、鼻の奥にツンと残っている。ただ食べるだけの消費者だった私たちが、「つくる」という営みの真ん中に立たせてもらった時間。自然はこちらの都合には合わせてくれない。雨に打たれ、泥にまみれ、そうしてようやく実りの時が来るのだと、身体で知った。あの体験があったからこそ、いま手の中にある干し柿ひとつにも、愛おしさを感じるのだろう。渋が甘みに変わるには、時間が必要なように。人もまた、いろいろな経験を、時間をかけて消化し、自分だけの色や味になっていくのかもしれません。年の瀬の慌ただしさのなかで、こっくりと甘いお茶請けが、「焦らなくていいよ」と、心を解いてくれる。一年間、よく働き、よく待った。そんな自分たちへの、冬からのささやかなご褒美。