やわらかな光に満ちた、土曜日の朝。空はどこまでも澄みわたり、青の奥行きが深く、静かにひらけている。さくらの季節が過ぎ、あの淡いひかりは記憶の中へとやさしくほどけていった。そのあとに訪れるのは、目を凝らさなければ見逃してしまいそうな、小さな変化。けれど確かに、世界は次の色へと移ろっている。ふと足もとに目をやると、いったんは役目を終えたかのように見えた枝のあいだから、若草色の葉が、ためらいもなくのびている。枯れたように見えていたものの内側で、いのちはずっと、静かに準備をしていたのだろう。あわてず、誇らず、ただ、来るべきときに応じてひらいていく姿。そのあり方にふれるたび、人の歩みもまた、同じ流れの中にあるのだと気づかされる。四月のはじめ、庭では、小さなチューリップがふたつ、風に揺れていた。この花は三年前、四国への車旅の折に足を運んだ高知県立牧野植物園 で、一目惚れして連れ帰ったもの。細くすっと伸びた茎の先に、人差し指の先ほどの、可憐な花。あまりに儚げで、風にあおられるたび、思わず支えを添えたくなる。けれど今年は、あえて手を出さずに見守ることにした。ゆらゆらと、しなやかに。風に逆らわず、ただ委ねて。それでも折れることなく、その姿のまま、美しさをまっとうしていた。守ることや整えることも大切だけれど、ただ在る力を信じて、任せるということもまた、ひとつのやさしさなのかもしれない。季節はめぐり、いのちはめぐる。目に映るすべてが、終わりではなく、次へとつながる途中のかたち。今日という晴れやかな一日もまた、見えないところで、何かを芽吹かせている。