春旅から帰ってきた息子が、活き活きと旅の話をしてくれた。睡眠3時間ほどで、めいっぱい動いて楽しんで、三日間で70キロ歩いたという。頬はこけ、腰には湿布が3枚。その姿に思わず笑ってしまった。話でいちばん印象に残ったのは、一緒に旅をした友だちのことだった。「いつも喜んでて、素直でびっくりした」おいしいものを食べては心から嬉しそうにして、「これも食べて」と自分の分も惜しまず差し出す。「あなたと全然違う」……と言われて、思わず苦笑いした。私はというと、いつも笑顔のお母さん、というタイプでもなくて、思ったことはそのまま顔に出る。わかってもらいたいときほど、眉間にしわも寄る。たしかに私たち親子は、美味しさを分け合うというより、それぞれに味わうほうで、話をすると互いに「でも」と言葉が続く。別の視点は、相手には否定に聞こえることもある。だからこそ息子は、ただ喜び、ただ分け合う彼女たちの姿に驚いたのだろう。その話を聞きながら、私はとても嬉しくなった。そういう人に出会えたことが。ふと気づく。人が「友だちがほしい」と思うとき、それはきっといい出会いを求めているのだと思う。けれど、いい出会いは特別な場所にあるわけではなくて、ただ喜び、ただ与える。そんな在り方にふれたときに静かに立ちあらわれるものなのかもしれない。それは人かもしれないし、自然の中の風景かもしれない。美しくさえずる鳥や、ただ咲いている花のように。心の向け方しだいで、いい出会いはいつも身のまわりにある。息子の旅の話を聞きながら、私は静かに思った。良い縁を、ありがとう。