早川ユミさんとテーブルを囲み、針を動かしていたとき、ふと、ある女性のことを話題にしてくれた。「アシリ・レラさん」(アイヌの祈りと暮らしの知恵を、今に伝えておられる方)その響きを聞いた瞬間、秋に訪れた軽井沢の森での時間がよみがえった。「あ、この前お会いしました」思わず、そう答えていた。あのとき私は、「カムイノミ」という祈りの場にいた。アイヌ語で、カムイは神、ノミは祈り。火の神様を通して、自然界のさまざまな存在へ感謝と願いを届ける儀式だ。焚き火の傍らには、「イナウ」と呼ばれる木幣(もくへい)が捧げられている。薄く削られた木の房は、神様への贈り物であり、こちらの言葉をあちらの世界へ届ける、静かなメッセンジャーだ。燃え上がる炎と、白いイナウを見つめていると、カムイノミを導いてくださった方が涙をにじませながら、語ってくれた。人に傷つけられることがあっても、自然は水を与え、実りをもたらし、いのちを支え続けてくれる。北海道では、毎日ひとりで祈りを続けているそうだ。今日はこうして、みんなと一緒に祈ることができて感動している、と話してくれた。その言葉に、胸の奥がぐっと熱くなると同時に、火や森、風までもが、喜んでいるような気がした。そして儀式では、歌も捧げられた。低く、深く、腹の奥から立ち上がる声。言葉というより音、振動そのものが、炎と空気に満ちていく。声が祈りとなり、祈りが空へと還っていく。そのとき、ふと感じた。こうして響きを届け、感謝や祈りをかたちにすること。それもまた、人に与えられた役目なのかもしれない。炎を見つめながら、その思いが、煤のように静かに心に残った。そのあと、刺繍も習った。アイヌの文様には、すべて意味がある。渦巻きは波や水のうず、ひし形はカムイの目。全体では、村を守る神様「フクロウ」の姿を表すこともあるという。衣服の袖や裾に施される刺繍は、悪いものが入り込まないようにする「魔除け」であり、身を守るための祈りでもある。ユミさんが言った「服はくすり」と深く響き合う。どちらも、愛する人を守りたい、自分を大切にしたいという、切実で温かな手仕事なのだ。生かされている私たちは、先祖からのいのちと文化を受け継ぎ、今日という一日を食べ、暮らしている。それぞれが持っている力を生かし、互いに守り、互いに支え、いのちの環の中で生きていく。子どもが巣立ち、新しい場所で自分の道を歩むことは、資本主義経済から見れば、都合のいいことなのかもしれない。お金や効率に縛られ、情報や忙しさに追われる日々。それでも、家族や目の前の人を想い、尊び合いながら暮らすこと。それは、自然で力強い生き方だと思う。互いに手を差し伸べ、それぞれができることを行う日々。その中にこそ、安心も、喜びも、学びもあるのだろう。細胞が分かれて離れていくだけではなく、つながりの中で、生かされているという感覚。与えられた役割の中で今日を丁寧に生きること。それもまた、いのちの流れに応えるひとつの祈りなのかもしれない。北海道を訪れたとき、広がる風景の中でふと思った。寺や神社という形よりも、森や風、そのものに祈りが向くような土地。森も、川も、火も、風も。すべてのものに、いのちが宿っているという感覚。その静けさに触れたとき、この大地に流れてきた時間の深さを、少しだけ感じた気がした。あの日以来、習った所作を、じぶんなりに朝ごとに続けている。今日という一日が始まること。与えられた役割の中で生きられること。上も下もなく、ただ巡るいのちの中にいること。今日もまた、与えられた一日を、静かに受け取ってみる。