大分県、山香(やまが)。のどかな田園風景を奥へ奥へと進んだ先に、その場所はありました。農家民泊「糧の家」。ガラスの引き戸をくぐり、一歩足を踏み入れた瞬間に感じたのは、驚くほど澄み渡った、密度の高い空気の響きでした。部屋に入ってまず目を奪われたのは、大きなガラス瓶に生けられた一本の木。それは演出を超えて、まるで家そのものが呼吸しているかのように瑞々しく、健やかな生命力を放っていました。その光景を見ただけで、この場所がどれほど丁寧に整えられているかが伝わってきます。胸いっぱいに吸い込む空気が、驚くほど美味しいのです。この家は、カテリーナ古楽器研究所を主宰し、自然から音をつくっているオーナー自らが、長い年月をかけて隅々まで繕い、再生させてきた空間なのだそうです。テラスのデザインから、部屋の調度品ひとつに至るまで、古民家の静謐な佇まいに寄り添うように設えられています。なかでも、夕食時。出されたおしぼりが置かれていた、厚みのある木板。そこに小さく刻まれた「糧の家」の文字。その控えめで確かな美意識に、心がほどけていくのを感じました。運ばれてきたのは、大分名物のとり天や、土地の恵みが丁寧に調理された品々。一品一品が、作家の手仕事を感じさせる器たちに美しく映え、五感のすべてが満たされていきます。滋味深い味わいは、まさに心と体の「糧」となるものでした。食卓を灯す、絶妙な高さに吊るされた裸電球。ランプのコードには、この土地の呼吸を映すような植物の蔓(つる)が、やさしく絡みついています。部屋に用意された本棚もまた、この家の響きを映し出す鏡のようでした。そこで出合ったのが、福岡正信著『神の革命』。表紙の図柄に惹かれ、ページをめくるうちに、その内容に引き込まれていきました。旅から戻った後、古書を探して全三冊を取り寄せたほどです。あの空間でこの本に出合えたことも、どこか意味のある巡り合わせだったように感じています。滞在中のすべての時間が、自分という楽器を調律してくれるような、不思議な心地よさに満ちていました。見事に手入れされた家と、そこに流れる豊かな時間。身近な旅でありながら、今もふとした瞬間に、あの山香の風と凛とした空気の響きを思い出します。私の心の中に、いつまでも美しい余韻を残し続ける、忘れられない美空間のひとつです。それにしても、このテラスデッキのバランスには、惚れ惚れします。