かつて、毎日のようにメルマガを書いていた時期がある。タイトルは「バラ色ノ思考術」。La vie en rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)――エディット・ピアフの歌に重ねた、心のなかのテーマソングのようなものだった。バラ色の人生になぞらえて、その名をつけた。不思議なことに、ひたすら書いていたら、予期せぬところから仕事も舞い込んできた。その後、二十四節気ごとに季節の節目を届けるようなかたちで、「にじいろgarden」を月に二回ほど配信するようになった。そのメルマガでは、環境リノベーション――情報の引き算のエッセンスをテーマに据え、第一話は「見えないけれど、伝わるもの」。読者さんにも恵まれ、あたたかな声が届くこともあった。けれど続けていくうちに、言葉を選ぶこと、取捨選択すること、気づいたことを伝えることが、誰かの思いや決めてることを否定してしまうかもしれない、という思いがちらついた。人は、信じることで救われる。だから、疑わないことが美徳とされるときもある。その美徳は、ときに柔軟さを見失わせ、内側の感覚よりも、外側の声に舵を委ねてしまうことがある。バラは美しい。花びらと棘は、その美しさという調和の中に、ともに在る。人の言葉もまた、光にもなれば、棘にもなりうる。けれど、その両方を含んだまま在ること。そこに、敬意が生まれるのだと、世界の手触りが変わるなかで、腑に落ちていった。環境をオーガナイズするということは、その「気持ち」を切り離すことではなく、静かに観察できる場所まで、自分を運んでいくプロセスだった。雲の下で雨風にさらされていた視界から、雲の上の、変わらない青空へ。しばらく、発信することから距離を置き、自分自身を、じっくりオーガナイズする時間へ。それは、沈黙であり、季節を待つような、内側に耳を澄ましていく、熟成の期間だったのかもしれない。長い時間を経て、ようやく今、ここに戻ってきている。自分でつくりあげたウェブサイト。ある朝、ふと浮かんだ「日々記」という名前。カテゴリーの文字組みや、ささやかなデザイン。つくってはやり直し、消えては書きあらため、試行錯誤の連続だったけれど、いまの自分には、これがいいと感じられる。書こうと構えなくても、日々のなかで、自然に言葉が立ち上がる。撮影した写真を選び、記憶にそっと触れ、そのまま、綴っていける。ようやく、ようやくの、今。誰かのため、というより、ここまで歩いてきた自分自身へ。そんな気持ちで、今日も日々記を残している。