深夜や早朝に響いていた犬の声もなく、今朝はすっかり静かだった。日曜日。暦の上では穀雨に入るころ。穀雨は、穀物をうるおす雨。めぐみの雨ともいわれるこの時期の雨は、どこかやわらかく、受け入れられているような気がする。あれほど気になっていた音が遠のいて、ただ、雨の気配だけが残っている。不安や警戒で少しだけ張っていたものも、この雨にほどかれていくのかもしれない。なにかを変えようとしなくても、整えようとしなくても、自然と落ち着いていくときがある。土にしみこむ水のように、見えないところで、静かに満たされていく。スパイスとなる物事も待つだけで、すべてうまくいったりするように思う。争いや揺れのように見える出来事も、耀しい未来を迎えるための、ひとつの掃除のようなものなのかもしれない。そう思ってみると、目の前の出来事に対する力みが、ゆるまりほどけていく。問題のように見えることも、心が生み出しているだけかもしれないし、見方を変えれば、静かにおさまっていくこともある。外で起きていることと、内側で起きていることは、案外、同じ流れの中にあるのかもしれない。そんなことを思いながら、この静けさを、そのまま受け取っている。どうも静かすぎると思って、窓越しに様子をうかがってみると、あれ、いない。