昨夜は、なぜか一睡もできなかった。初詣の賑わい。夜の運転で浴びた、鋭いLEDの光。その名残が、まだ身体に残っていたのかもしれない。現代の光は、あまりに平坦で、あまりに鋭い。いつだったか、分光フィルムを透かして、さまざまな光源を覗き比べたことがあった。炎の光を覗いたとき、そこには見事な「虹」が広がっていた。赤から紫まで、すべての波長が途切れることなく連なる、完全なプリズム。それは、自然界が分かち合ってくれる全き(まったき)光の姿だった。一方、効率を優先して作られた蛍光灯やLEDは、特定の波長だけが鋭く突き出し、ところどころに色が抜け落ちた、歪なスペクトルを描いていた。効率的な光は、人の視神経には、あまりに優しくない。本来、私たちの身体は、すべての波長を含んだ「完璧な光」に守られて進化してきたはずなのだから。寝不足で、目がしょぼしょぼと重い今日は、大切に集めているコレクションの中から、お気に入りの和蝋燭に火を灯す。一本一本、人の手作業で蝋を塗り重ねて作られたその姿は、火を灯す前から、静かな工芸品としての品格を纏っている。太い芯を伝って立ち上がる、大きな橙色の炎。そのゆらぎをじっと見つめていると、不思議なほど、目の奥の方がじわじわと緩んでいくのがわかる。それは、休むという感覚とは少し違っていた。欠落した光の粒を補うような、深い神経への「滋養」が、網膜を通して、静かに染み渡っていくような感覚だ。エアコンや空気清浄機の小さな青いランプ。街を埋め尽くす、記号のような光。それらは便利だけれど、生命としての充足は、与えてくれない。今の私に必要だったのは、闇をすべて消し去るような明るさではなく、影とともに呼吸し、神経を芯から潤してくれる、この「温度のある光」だった。今夜は、和蝋燭がもたらしてくれる完璧な七色の虹に包まれながら、深い眠りの闇へと、ゆっくり身を委ねてみたい。