立春の訪れを待っていたかのように、庭の中にも小さな移り変わりがある。冬の間、ひと足先に咲いていたのは「白」の侘助(わびすけ)。そこへ昨日、追いつくように「紅」の一輪がほどけ、緑の葉の中で、あざやかな紅白が揃い踏みとなった。自然がくれた小さなお祝いに、心が華やぐ。そんな庭の移ろいに合わせて、室礼(しつらい)もお雛様へ。床の間には、すらりと背の高い「立雛(たちびな)」の軸を掛ける。この軸を眺めていると、二つの大切な記憶が、織物のように重なってほどけてくる。ひとつは、作者の署名にある「恵美子」という名。それは、私と同じ名前だ。かつて母がこれを求めたとき、美しい画の中に娘の名を見つけ、そこにそっと願いを重ねたのかもしれない。私の足元を静かに支える、母の記憶である。そしてもうひとつは、画に添えられたこの一句。灯ともしてうきたち見ゆるひいなかな立子高浜虚子の娘であり、女性俳人の草分けでもある星野立子の句。灯りをともすと、お雛様が暗がりからふわりと浮き上がり、息を吹き返す。そんな幻想のひとときが、やわらかに詠まれている。崩し字で書かれ、私には読めなかったこの言葉を、昨年、風蘭先生がすらすらと読み解いてくださった。一文字ずつ、霧が晴れるように意味が立ち上がり、掛け軸の世界が急に奥行きを増した。それは、私の視野をひらいてくれる「横糸」。名前が結ぶ、母との絆。句が結ぶ、師とのご縁。ひとつの掛け軸から、縦糸と横糸が交わり、奥ゆきのある物語が生まれていく。大切な人たちの想いに包まれて、今年も静かに、春の灯をともす。