今日は、母の十回目の命日。この節目を和やかな心で迎えるため、数日前から準備を進めてきた。その準備の最後を締めくくるように、今日は「空間再生」の最終日でもあった。最後の手放しは、一台の加湿器。美品ではあるけれど、数年も出番を待たせてしまっていた。重い腰を上げ、感謝とともに不燃物として送り出す。すっきりした収納スペースに、清々しい空気が流れ込む。午前の祥月参りを終え、午後は画材店へ。風蘭先生から授かった「ひ」の作品を、今日のこの日に額装したいという想いがあった。マット紙サンプルの中では、これというものが見つからなかった。けれど奥から現れた一枚に、心が動いた。雲母のような静かなきらめき、そして、どこまでも淡い水色。作品の呼吸に、ぴたりと重なる色。控えめで、澄んでいて、どこか光を含むその色は、まさに静かな祈りの色。土壁に掛けると、作品の聡明さが引き立ち、すうっと空間に馴染んだ。墨は藍、ラピスラズリ。そして金泥が微かにほどこされている。海と羽ばたくかもめにもみえるし、なにより、その線には“ひ”が生きている。「ひ」は火であり、日であり、霊。沈黙の奥で、まだ燃えているもの。私はその灯を額の中へ迎え入れた。そして、家族で囲む「命日茶会」の時間を迎える。美味しい緑茶を淹れ、苺の米粉ケーキを切り分ける。黒漆塗のプレートに錫器の雪輪皿を重ね、場を整える。ひと口ごとに、母との思い出が静かに、温かく蘇る。そうこうしていると、インターホンが鳴った。玄関先に、溢れんばかりのお花を抱えて立っていたのは、道路向かいのお隣さんだった。一歳違いで、幼い頃はよく一緒に遊んだ、ひとつ上の朗らかなお姉さん。大人になってからも、道路越しに手を振り合っていた仲だ。一昨日、しばらく入院されていたお父様の訃報が届き、彼女とは実に数十年ぶりの再会となった。昨日、葬儀でお見送りしたばかりのお父様の花を、「よかったら、飾ってください」とわざわざ届けてくれた。彼女たちも今日、総出でご実家の大片付けをしていた。私が自宅の「空間再生」を終えたその時に、彼女もまた家を整え、数十年という歳月を飛び越えて私の元に花を運んできてくれた。偶然の一致というにはあまりに美しい、母とお向かいのお父様が引き合わせてくれたような再会。丁寧に水切りして、玄関にたっぷり活けてみた。しばらくして眺めると、お花たちは驚くほど瑞々しく水を吸い上げ、誇らしげに咲いている。この花と再会の喜びは、どんな言葉よりもまっすぐに、今の私の心を灯してくれた。十年という月日はあっという間だったけれど、この頃ようやく、家事や台所仕事が自分の「型」になってきた気がする。母が淡々と続けていたあの小さな手間。その延長線上に今の暮らしがあり、今日のような和やかな茶会を催せる幸せがある。命日という大きな節目に、手放し、調え、味わい、そして巡りくる花とご縁に癒される。いろんな喜びが響き合う、ありがたい一日となった。淡水パールを思わせるマットの細やかな光沢に、額縁ガラス越しに重なるのは、水面のようにも見える和ガラスの反射。実像と虚像が溶け合い、作品の青は透明な静寂へと導かれていく。