午前中は仕事で外出。風は冷たく、光はやわらかい。家に戻ると、2階から掃除機の音がしていた。白い服を着た息子が降りてくると何も言わないまま、今度は下の部屋のソファが動き、床の掃除がすすみ、机や棚、カーテンレールまで、せっせと拭かれていく。ただ、手が動いている。そんなふうに見えた。その様子を眺めながら、胸の奥で、あ、と感じた。考えたというより、昔の光景を思い出した、に近い。家の内側を守る人がいて、居場所を、毎日少しずつ手入れする人がいた。それは特別な役割ではなく、暮らしの呼吸のようなものだった。いつのころからか、みんな外へ向かい、内側には大人の手が足りなくなった。手がいる家事は後回しにされ、空間は、少しずつ音を増やしていく。誰かが悪いわけではなく、外へ向かう時間が、長くなっていただけ。光は、まだ低く、呼吸は、自然と深くなる。冬至のあとの時間は、何かを変えるためではなく、本来あったはずの動きがそっと戻ってくるときなのかもしれない。理由もなく、言葉もなく、ただ、手が先に動く。朝の光は、今日もそこにあり、空気は、ゆっくり巡っている。