昨日は、書道の稽古日。隷書を書いてみる。以前、筆の運びは習っていたけれど、まだ身についていなくて、もう一度おさらい。でも、はじめて聞いたときより、少しだけ筆が思うように動いた気がした。何枚も練習する。うまくいかない。それでも書く。手の先にある筆を感じる。ほとんどのことが、画面の中で完結してしまって、気がつくと、随分と文字を書くことから遠のいている。たまに、申し込み書類などに、名前や住所を書くだけで、面倒だなと思う。だから、一日の予定を鉛筆でメモに書いたり、気づいたことを手帳に書き留めたりする。あえて、手を動かす。だから、こういう書の稽古は、とてもいい時間だと思う。墨をすり、筆につけ、手漉きの半紙に書く。うまく書けなくても、じぶんの書に向き合う時間が尊いし、続けた先には変化がある。書いていると、自分のクセや思い込みにも気づかされる。人に習うと、自分では見えていないことが見えてくる。だから、稽古という時間は、上達するためだけではなく、視野を広げて、感度も上げてくれている気がする。頭ではわかっていても、手先につながっているかは別の話。わかったつもりのことも、筆を持つと、案外できていない。その間を埋めるように、少しずつ、身体に馴染ませていく。イメージが手の先まで届いて、表現として現れるには、やっぱり稽古がいる。筆や墨と、少しずつ仲良くなる。稽古で、小筆に親しんだので、帰ってから封書書きをしてみた。隷書で氏名は書けなかったけれど、お手本を見ながら、自分なりに書いてみる。今までは、筆文字が苦手で、封筒を買うときは、宛名書きまで頼んでいた。ただただ、自分で書けたことが、うれしかった。