旅はいつも、個人手配だった。ちょうどよい航空チケットを探したり、ホテルを選んだりすることが好きで、その工程そのものが、すでに旅の一部になっていた。大型休暇の半年前には、行きたい国の”地球の歩き方”本を手にしていて、レアな計画を立てることが、何よりのスリルであり、楽しみだった。1993年8月、向かった先はオーストラリア・PERTH。まだデジタル写真が一般的ではない時で、旅の記録は、現像された写真に宿る“光そのもの”だった。現地では、内陸へ向かうツアーに参加した。大きなバスに乗り込むと、いろんな国の人たちが混じり合って座っていて、それだけで旅の景色が広がるようだった。驚いたのは運転士さんで、ガイドも案内も準備も、すべて一人でこなしてしまう。朝の出発時には、さりげなくモーニングティが用意されていて、温かい飲み物と手作り菓子を手に、早くも大陸の風とワクワク気分に包まれた。——当時の旅メモを見ると、もうその頃から“食の記録”を楽しんでたんだと、思わず微笑んでしまう。次の休憩では、運転士さんがギンガムチェックの布を広げ、サラダやサンドイッチのピクニックランチで私たちをもてなしてくれた。どれも素朴で、やさしい味わいで、美味しい。午後の休憩では、今度は突然のアフタヌーンティー。あたたかいカフェオレに、大きなクッキー缶。旅先でこんな“甘い時間”でいたれりつくせりだなんてと大はしゃぎしてしまったのを今でもよく覚えている。そして気づいたのは、何よりも「空気そのものの美味しさ」。遠くの空には稲妻が走っていたのに、私たちのいる場所の上空だけはずっと晴れ渡り、胸の奥まで広がるような清々しさがあった。小石が集まっている車道も心地がいい。バスは、地平線へ向かうように真っ直ぐ伸びる未舗装の道を走っていく。車窓から入ってくる風は乾いていて、地面はどこまでも続く赤土の色。足もとを写した一枚の写真に、そのときの気温や音までも閉じ込められているように感じる。途中ではワイルドフラワーを観察した。土地によって形も色も異なり、小さな花々が大地に点々と息づいている。指差したその先には、カンガルーポーのいう名のネイティブフラワーが揺れていた。そして突然、目の前に広がる、湖?いや、大きな水たまりに出会った。水色というには淡すぎず、青と呼ぶにはどこか優しすぎる。空の明るさと、透きとおる空気がそのまま水面に映り、光の角度でふわりと色を変える、まるで別次元のような、やわらかな水のいろだった。その美しさは息を呑むほどで、32年が過ぎた今でも、記憶の中でまったく色褪せることなく、あの瞬間のまま静かに残っている。新しい一年の手帳の色を選ぶとき、ふと脳裏に浮かんだのは、あの旅先で見た“やさしい青の水たまり”だった。冬至を一年のはじまりにする手帳。思いがけず浮かんだその色を手がかりに、あれこれ探してみた。そして、今年も LEUCHTTURM1917 に決めた。お目当ての色は、ちょうど最後の一冊。手にした瞬間、その偶然に胸が弾んだ。いつか五冊ほど並んだとき、どんな色の景色になるのだろう——想像するだけで楽しい。届いた手帳は、梱包が丁寧で、あたたかなメッセージまで添えられていた。冬至までは、そっと静かに大切にしておきたい。線も枠もないページには、ただ広い余白だけがある。一行の日も、たっぷり書きたい日も、見開きいっぱいに描きたくなる日も、すべてを受け入れる余白。1993年の水の色が、2025年の手帳へつながっていく。旅の感動は、時間を越えても色褪せないのだと思う。