朝一番、汗を流しながら、太陽の光を浴びて、南のフェンスに絡まったつるや、深く根を張った増える植物をすっきり整えた。庭にいると、季節の変化だけでなく、命のめぐりまで見えてくる。西の槙の木は、この夏、突如発生した幼虫に葉をみるみる食べられた。上半分が丸裸になった姿は、無惨だった。気づいてからは、毎日、水や手で大量の幼虫を取り除いた。まきの木は枯れなかった。今では、何事もなかったように若葉をぐんぐん伸ばしている。葉を失ったことを嘆くでもなく、奪われたものを取り戻そうとするでもなく、ただ、また芽を出す。自分の一部を差し出し、失い、そしてまた生まれる。木々は、そんな命のめぐりを静かに受け入れている。人間は、失うことを恐れる。自分のものだと思うほど、手放すことが難しくなる。過去のことも、傷ついたことも、持っているものも、「失いたくない」と握りしめるほど、心は重くなっていく。そんな人間をよそに、庭の木々は今日も黙って生きている。何かを教えようともせず、ただ、その生き方を見せてくれている。親から受け継いだ家と庭。そこには、暮らしながらでなければ気づけないことがたくさんある。庭も、木も、季節も、風も。暮らしそのものが、生きることを教えてくれる。今朝もまた、庭にひとつ教わった。失うことも、めぐりの一部。そして、その先には新しい芽がある。