今日は、今年最後の「月の一日」。6月から続けている、氏神さまへの月次参りに出かけた。日本では昔から、家の中に“祈りの場”があった。畳や床の間、仏間や神棚がない新しい住まいが増えた今でも、手を合わせるという習慣そのものは、静かに受け継がれている気がする。この神社も、けっこう紅葉が美しい。昨日の日々記では「黄金」をテーマにしたけれど、遠くの名所まで行かなくても、いつもの景色がちゃんと季節をまとっていることにあらためて気づかされた。春には桜が満開になる河岸も、今はしっとりと秋化粧をしている。朝の空気の中で手を合わせていると、ほかにも同じように、月のはじめに参りに来る人がいる。前々月の一日だったか、境内いっぱいに広がった落ち葉が、大きな音と風を巻き起こしながらブロワーで清掃されていた。最初は業者さんかと思っていたが、挨拶を交わしたとき、その方が以前も見かけた参拝者だと知った。誰に頼まれたわけでもなく、場を清めるという行いを、あたりまえのように行える人がいる。その姿に、とても感動した。この神社は、随分前に火災があった。その際、地域の人たちが寄付をし、石碑には同級生や親類の名前も刻まれていた。暮らしている場所であっても、知らないところで多くの支えが積み重なっていることにあらためて気づかされた。手を合わせるという行為は、願いを届けるだけではなく、“今ある豊かさに気づくための時間”でもあるのだと思う。何気ないことを、できる範囲で続けていけば、足元の景色は少しずつ深まり、そこに宿る優しさにも触れられる。その小さな気づきは、静かで清々しい余韻を残してくれる。