20日、書道の稽古で筆を走らせていて、 ふと、その日が「春分」であることに気づいた。暦の上での区切り。 昼と夜が、ちょうど半分ずつになる日。 春は「ぼたもち(牡丹餅)」、秋は「おはぎ(お萩)」。 呼び名は違えど、同じ小豆の菓子。 春に咲く牡丹の花に見立てて、 そう呼ぶのだと教わったのは、いつだったか。翌朝、 少しだけ残っていた餅米を水に浸し、 小豆をゆっくりと火にかける。 それから、味噌も少しつくる予定。 大豆は明日まで浸水しておくことにする。効率を考えれば、 どこかで買うほうが楽だし早い。 けれど、湯気の中に身を置いていると、 心が静かに凪いでいくのがわかる。 「手間」という言葉は、 自分を慈しむための時間、なのかもしれない。昨夜、夢に両親が出てきた。 ただ、そこにゆっくり暮らしていた。天気もいいし、午後の早めにお彼岸参りへ歩いて行くことに。線香の匂いと、春の風。 目に見えるものと、見えないもの。 その境界が、柔らかくなる日。帰宅すると、小豆も鍋の中でやわらかくなっていた。本当は滑らかな「こしあん」を目指していたのだけれど、こす前にうっかり砂糖を入れてしまって、「今日はつぶあんのままでいいか」と思えた。自分でどうにでも行き先を変えられるのが、台所のいいところだ。日常は、いつだって特別。 ただ、季節のものを煮て、 大切な人を想い、歩く。そんなふうに、 自分の中の「整い」を、ひとつずつ、確かめていきたいと思う。