ここ数年、遠出はしていない。円安や物価のこともあり、国外への旅計画をすることがなくなった。以前は、外へ向かうことで感覚を育てていた。最近は、内側や暮らしを整えることに、同じくらい興味が向いている。欲のまま、行きたいところに、行けるときに、行っておいて良かった。時々無謀だったかつての私に、今では礼を言いたい気分です。色々と、冷や汗もののハプニングをありがとう。そのおかげか、これまでの旅は、いつ振り返っても鮮明で、景色だけではなく、空気や香り、そのときの温度まで、五感ごと思い出せる。近くも遠くも、出向くことで何かが与えられる。居心地のいい空間って?実際に過ごしてみてどう?それを好きで繰り返してきた。気がつけば、旅に鍛えられ、旅から育ててもらっていた。人生の途中で、温泉宿の女将という時間もあった。当時は、なぜ宿業?という気持ちがあった。それから20数年経って、この春から、宿泊空間に関わる仕事に携わっている。なるほど、そういうことだったのかと、今やっと、腑に落ちてきている。内側を整えることと、誰かをもてなすこと。一見ちがうようでいて、どこか同じ匂いがする。少し先のこととして、小さな宿のような場をつくるのもありだと思う。そんな流れの中で、今回思い出したのは、6月に訪れた滞在だった。押上にあるONE@Tokyo by insomnia。隈研吾氏が外観とインテリアを手掛けた空間は、工業素材と自然素材が混ざり合い、ひとつの建築というより、都市に置かれた構造体のようだった。まだオープンから間もない頃で、平日の滞在にもかかわらず、ロビーには海外からの宿泊者が多かった。情報の早い人たちが、すでにこの場所を見つけていたのだと思う。チェックインのときの空気の香りと、エレベーターを降りたあとの廊下の感覚。白い布が、建築の中に自然に溶け込み、清浄さとやわらかさがあった。パブリックスペースには、建築本がいくつかあり、見て楽しめるし、空間にも似合っていた。都会の中心にいながら、少しだけ呼吸が変わるような空間だった。あのときの滞在も、自分の感覚を広げてもらった体験だった。旅は終わっても、その後に残るものがある。それは記憶というより、少し遅れて効いてくる感覚のようなもの。旅の記憶は、いまの自分の中で、静かに作用している。