「似合う」という言葉だけでは、なんだか足りない気がしていた。自分の中にあるインスピレーションを、そのまま布にのせる。そうして生まれた服を、彼女はごく自然に着こなし、呼吸するみたいに纏っている。アーティスト、伊藤裕美子さんと、春の旅へ。話しているうちに、誕生日が近いとわかり、その祝いもかねて、小さな旅に誘った。大分・耶馬溪のRestaurant Sardinas(サルディナス)。その奥にひっそりとある、一室だけの週末宿 DONOSTIA(ドノスティア)。二年前の暮れ、寒さの中で訪れたときの、あの静かなあたたかさが忘れられなかった。「春にまた来よう」そう思っていた再訪が、こんな素敵なかたちで叶った。夕暮れ。キャンドルの灯りがテーブルをやわらかく照らす。ワインを注ぎ、ささやかに乾杯。揺れる炎の向こうで、伊藤さんが纏うMRSGRENのシャツが目に入る。大胆な筆致と、潔い白、意志のある黒。彼女が動くたび、布もまた息をしているようだった。翌朝、窓を開けると、春の耶馬溪がすぐそこに広がっていた。山肌の桜、やわらかな若草色の空気。名残惜しくて、そのままランチへ。そこで、小さな出来事があった。これまで苦手だったパクチーを、伊藤さんが「おいしい」と言ったのだ。そのときの、少し驚いたような笑顔。それを見ながら、変わることは、こんなふうに静かに訪れるのかもしれないと思った。おいしい余韻と、ささやかな発見。満ち足りた気持ちで車を走らせる。春の風が、私たちの頬と、彼女のシャツをやさしく撫でていった。