「聴く隣人のいるところ」という映画を観た。島根県にある全寮制の高校が舞台。生徒は34名。仲間と寝食をともにしながら、三年間を過ごす。そこには、スマホもネットもない。あるのは、声と歌。ある日のこと。寮の夜食をつくるのに、電気ポットでは少し不便。IHを買うか、買わないか。それが全体会の議題になる。買えば便利。でも、本当に必要なのか。一人ひとりが考え、意見を出し、互いの声を聴く。そして、みんなで決めていく。便利さを取り入れることは、簡単なのかもしれない。けれど、ないなら、ないなりに工夫する。考える。話す。聴く。その時間を大切にしている。不便さを我慢させるためではなく、自分の頭で考え、自分の言葉で伝え、誰かの言葉にも耳を傾ける。そんな力を育てているのだと思った。AIが身近になり、答えをすぐに手にできるようになった。便利になった一方で、自分で考えることや、誰かと話しながら答えを見つけていく時間は、減っているように思う。だからこそ、この映画は今の時代への声でもある。そして、映画の終盤。卒業する三年生によるまっすぐな声があった。そこで語られていたのが、「自由の難しさ」。自由というと、何でも好きにしていいことを思い浮かべる。けれど、自由であるほど、容易くないのかもしれない。自分で考え、自分で選び、その選択を自分で引き受ける。誰かが決めたことなら、うまくいかなかったときに誰かのせいにできる。決められたことに従っているほうが、ずっと楽なこともある。けれど、自分の生き方を自分で決める。その自由には、責任がついてくる。だからこそ、自由は難しくもあり、そして、少し怖い。三年間、仲間と暮らし、互いの声を聴き、自分の言葉で考える。その時間を重ねた先に、「自由とは何か」という問いに辿り着いたのだと思う。人は、ひとりで考えるだけではなく、誰かの声を聴くことで自分の考えにも気づいていく。互いの声。それに、耳を傾けること。すぐに答えを出さず、一緒に考えること。そして、自分で選ぶこと。便利さの中で失いたくないものが、そこにはちゃんと残っていた。