映画「マイケル」を観た。厳しさ。期待。体罰。部屋で泣く子どもの姿。映像を前に、悲しみと切なさが、交差した。けれど、観終わったあとに残ったのは、傷ではなかった。動物や子どもたちへ向ける眼差し。慈しみ。そこには、失わないと知っている人の気配があった。完成度の高さも印象的だった。音、身体、空間。どれも切り離されず、すべてがひとつになっていた。踊るというより、音そのもの。父親の厳しさは、基準を育てたのかもしれない。けれど、受け継いだのは厳しさそのものではなく、それを超えて、自分の表現へ変えていく力だった気がする。自分の中にある光を、疑わず、放つこと。ただそこに、集中していたように見えた。泥の中にあっても、泥にならない。その清らかさが、光になっていた。私は、昔から持っている「THIS IS IT」のCDを手に取った。不思議と、何度聴いても飽きることがない一枚。CDは音を聴くものだけれど、そこにはリズムやテンポまで含めた、ひとつの芸術があるように感じる。ずっと前の作品なのに、今聴いても、目が覚めるような何かを秘めている。表現というのは、技術や努力だけでは届かない。その人が、何を守り、何を磨き、何を手放さなかったか。そこまで映ってしまう。自分軸で生きることも、創造することも、光を探すことではなく、光を遮るものを手放すこと。必要だったものは、最初からそこにある。だから今も、色褪せない。追記:「世界をやさしくする、小さなこと」3月に綴った、別の日の記録。