車を走らせていたときのこと。たまたま、Eテレ番組から流れる短歌を耳にした。「目が覚めて いつもの部屋にいることが 幸せならば 幸せである」それいい、と思って信号待ちの合間に、その歌を自分宛にメールで贈った。同じ日に、平安の歌謡集『梁塵秘抄』の一節にも出会した。「遊びをせんとや生まれけむ 戯(たわむ)れせんとや生まれけむ」私たちは、この世界で遊び、戯れるために生まれてきた。喜びも悲しみも、迷いや孤独でさえも、この「人生という舞台」で味わう演目。その脚本は、もしかしたら自分自身で選んできたものなのかもしれない。最近、不思議な夢を見た。突然、急降下する飛行船に乗っている夢。「もうダメだ」と思った瞬間、襲ってきたのは恐怖ではなく、「喜びと祝福」。漂う気配は、静かな平和。痛くもかゆくもない。それは確かな感覚で、死生観もガラッと変わった。ただひとつの役割を終え、もともと繋がっていた大きな源へと還っていく、清々しい帰還。夢の続きでは、両親がいる家に戻り、言いようのない幸福感に包まれて目が覚めた。忘れていたことを思い出すために、私たちはここにいる。自由を望んで、本来の自由へ戻るために、私たちは内側を磨き続けていく。波が海から生まれ、また海へと溶けていくように。細胞がこの身体を形作り、また新しく入れ替わっていくように。私たちは最初から、大きな「ひとつ」と繋がっている。空を舞うかもめたちを眺めている。彼らがこれほどまでに軽やかなのは、最初から、自分の背中に羽があることを信じ切っているからだ。私たちもまた、目には見えないけれど、本来どこへでも飛んでいける自由な羽、自由な意識を、最初から授かっている。「墜ちること」さえも戯れの一部だと知ったなら、いつもの部屋での目覚めは、新しい空へと漕ぎ出す最高の出発点になる。いつもの部屋で。いつもの光の中で。今日という日の「戯れ」を、心ゆくまで愉しもうと思う。