昨夜、眠気の中で、セルフ整体のLIVEを眺めていた。話の中で、「やさしさで包まれていますか?」という問いに、思わず笑ってしまう反応が並ぶ。じぶんでじぶんをやさしく包んでください。どうにかしようとするのではなく、ただ触れるように、やわらかく。その言葉が、静かに残っている。首のこわばりを感じると、ついそこだけをさすってしまうけれど、むしろ、全身に目を向けてみる。流れごと整えるほうがめぐりがいい。肩や腕、足にもそっと触れて、労わるように、ゆるめていく。たしかに、首だけをもむよりも、からだ全体がほどけていくようだった。以前は、やさしくされたい、大切にされたいと、思うことがよくあった。けれど今は、誰ということなく、いちばん身近なじぶんからのやさしさや、じぶんに大切に扱われることを、待っていたのだとわかる。水や塩、口にするものにも、自然と意識が向くようになった。自然のままのものや、旬の野菜をいただくと、からだが素直に喜んでいるのがわかる。やさしさを外に探しにいくほど、それはどこか別のもののように感じられる。見つけられるはずだと、パズルのピースを探すことを楽しむ時期もある。見つかったときは、温度差があるほど熱を帯びて、やがてなじむように人肌へと落ち着き、すれ違いはじめると、ひやりと冷たく感じる。そして気づけば、かたちもなく、ただそこにあったもののように溶けていく。あるようで、ない。ないようで、ある。そうやって揺れているあいだは、どこかに力が入っている。ある、ない。正しい、正しくない。分けているのは、いつもこちら側なのかもしれない。じぶんにやさしくあるだけでいいのに、ずいぶん遠回りをしてきた気もする。それでも、そうやって歩いてきた自分も、わるくない。歳を重ねるというのは、痛みも、よろこびも知ったうえで、それでもなお、やさしく在ろうとすることなのかもしれない。今日もまた、じぶんに触れるように過ごしてみる。無料でできる、いちばん身近なケア。これが、いちばん効く。